つーどろ

聖堂の最上階。大きな窓から覗く満月が部屋を照らし、光の必要がないほどに明るい。
聖堂の主、太陽の聖女エリオドールは月に手を伸ばせば、しゃらりと装飾された宝石が音を立てた。あまりにも近いその巨大な輝きに届くような気がしたが、宝石の輝きが一層増すばかり。エリオドールは肩書きとは裏腹に、月が好きであった。
静かに光を湛え、夜になれば世界を妖艶な美しさで覆う。とろけるような甘美な輝きが、ドレスから覗く雪のように白い肢体を艶めかしく際立たせる。
画家ならばすぐにでも筆を取るであろうその美しさだが、半透明のヴェールから覗く表情は聖女と言うには程遠く、それはまるで獲物の殺し方を吟味する殺人鬼のように、青空を映した瞳は嗜虐的な光を宿し口角をつり上げている。
少女と表現するには残酷すぎる。聖女と言うにはあまりにも悪魔的すぎる。エリオドールは長い白髪を指に絡め、月に照らされきらきらと輝く自らの髪に満悦そうに微笑んだ。
「ビシュー……」
不思議な声色で低く呟くと、ますますその笑みが濃くなる。
ビシュー。ビシュー・ヴェルナー。イプシランテ三大魔女のひとりである。アストレオンを大きく上回るほどの罪歴から史上最悪の魔女と謳われ、百年前にこの国の輝かしき歴史を災厄で塗り替えた過去を持つ。そして太陽出ずるその瞬間エリオドールに封印された、月の魔女。
満月の日に力が最大限に発揮されるかの魔女は、王族の血を吸い付くしただけでは飽きたらず王都にまで下り、月の聖女をも殺し一晩で千人を殺して回った。この国では口にするのも憚られるほどまだまだ畏怖される存在となっており、他国ではアストレオンが象徴的な魔女となっているが、ここではビシューが忌むべき対象となっていた。
エリオドールは血に染まったあの光景を思い出す。片割れであった月の聖女の末路を。美しかった満月さえも真っ赤に染まりつくたあの地獄を。
「…………堪らない、堪らないね。こんな感情、きっといけないことなのだろうけど」
ビシューの事を思う度にぞくぞくと這い上がるこの感覚の正体を、聖女はまだ知らない。ビシューと初めて遭遇した時の衝撃を。血濡れた彼女の美しさと、封印の間際に見せたあの表情に感じたものがなんなのか。だからこそ、知りたい。
あの時は考える暇もなく呼び出され、封印を急かされてしまったのだ。あれから百年ーーー月の神がいたとなれば、そしてビシューの魔力をもってすれば封印はとうに解かれているはずなのに姿を見せない。あの性格からして怒り狂ってエリオドールを殺しに来るのは間違いないと聖騎士は予測し、特に満月の夜の警備は万全すぎるほどであった。
エリオドールがそろそろ出現するだろうと予測した日から、今日で八回目の満月を拝んだことになる。聖騎士達も警戒を怠ってはいないが、以前よりは気が抜けていることだろう。もう現れないのではないかという期待が国民の間では広まっているようだ。
最近の参拝客の話はそればかりで、エリオドールはその話をされる度笑顔を崩さないように努めていたのだが。
「現れないはずがないだろう、もうーーーああ、僕が必ず、呼び戻す。あの災厄は、僕のものにしなければいけない……ねえ、ビシュー・ヴェルナー。君が来ないなら、」
聖女は二重となった窓を開ける。
しゃらん、とドレスの宝石が鳴った。

ーーー

魔女が現れ、月の聖女が百年経っても見つからない今、この国は太陽の国と言っても過言ではないほどに"月"の信仰は衰えてしまった。
それに加え、その魔女を国を救いし神だと崇める性質の悪い妙な集団までできてしまっている。
そして今その集団により、魔女の封印が解かれた事が隠蔽されてしまった。満月の夜以外は非力な彼女の保護を行い、今か今かと再び災厄を待ち望んでいる。
「悪い気は、しないさ。でも望み通りに活動してやるのはとても癪だ。だって私は偉大じゃないか。どこかに縛られるような生き方は望まない、望まない! でも人に讃えられるのは好ましく……んん? いや、私を崇めるなんて当然のことじゃなったかい? そう、当然のこと。ビシュー・ヴェルナーは偉大な魔女さ、あいつらみたいに飼い慣らされたりしない。ビシュー・ヴェルナーは偉大な魔女さ!」
夜も更けきった森、ひとりの魔女ーーー月の魔女ビシュー・ヴェルナーが過剰装飾が施されたシルクハットを指先でくるくると回しながら悠々と暗闇を歩いていた。歌うように紡がれる言の葉は、艶かしくも演技がかったように冴え渡っていた。
しかし月が眩しいほどに闇を退ける。木々が女の姿を覆い隠そうとしても、木の葉が光を遮り損ねてちらちらと照らす。
ビシューは非現実的な美貌を持った魔女であった。
跳ねた短い白髪は光を受けて眩しいほど輝いている。シルクハットと同じく過剰装飾のタキシードに身を包んではいるが、起伏に富んだあまりにも女性らしい体つきは背徳的なほど月の輝きが映えていた。
ビシューはシルクハットを被り直し、月へと両腕を伸ばす。その輝きを自らのものだと主張するように。
「あぁ、月が綺麗だ。だからこんなに気分が昂るわけだ! ああ、ああ、ああ!! 今夜こそは太陽が出ずる前にたどり着けるかもしれないね、あの忌まわしき聖女のところに!! 私に恥辱の限りを与えた悪魔に!! さあ、どう殺してやろうか……ああ、聖女のお守りもいるんだ。聖女の目の前でひとり残らず殺してやろう、首を跳ねてやろう!! あのときと同じように!! 絶望した首を並べて聖女を完膚なきまでに壊してやるのさ!!」
鋭い牙を露にして高らかに笑い上げる様子は、外見の美麗さすらも瞬時に狂気を引き立ててしまえるほどに異常としか表現できない。まさに狂気を具現化したような、そんな存在に木々がざわめき、生物の寝静まった静閑に響き渡ったそれに鳥は飛び立ち獣は駆けて行く。その様子を満悦そうに聞いていたビシューだが、
「……あぁ? なんだい?」
獣達がざわめき立てるのが自らの存在だけではないことに気付き、表情を一変させて辺りを見回す。やがて再び静閑が戻ったが、先程とは全く違う、どの生物の息の音すら聞こえやしない。
しゃら。しゃらり、しゃらん。
しかし、確実に近付くその金属を鳴らしたような音にビシューの紅紫の瞳が細められる。
「ーーーあ、あ」
覚えが、あった。
しゃらりしゃらりと歩く度に華美な装飾が鳴るその人物を。封印された瞬間までに、鳴り続けていたその煩わしい音を。
ビシューは目を見開き、酷く暴力的な笑みを浮かべその音の方へ向き直ると両腕を広げ、再び哄笑した。
「……ああ、ああ!! 素晴らしい、素晴らしいじゃないか、今日は最高の夜になりそうだ!! 私はなんて運がいいのだろう!! それもこれも、月が綺麗だからだ、こんなに美しい満月は私を祝福するためだけに今日輝いている!! そうに違いない!! なあ、違いないよなぁーーーわかってくれるだろう?!」
しゃん。歓喜に打ち震えるビシューのすぐ近くで、音が止みーーー、
「ああ、その通りだ、その通りだとも。やっと見つけたよ、ビシュー・ヴェルナー」
暗闇にはあまりにも似つかわしくない、真っ白な聖女が相対していた。


お題に行き着く前にタイムリミットでした
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